少しずつ削れてく純粋すぎる時。

それは、うたかたの日々

白日のよう

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ここを読んで下さっている皆さまへ

気がつけばブログを始めて一ヶ月経過して

読者さまも嬉しいこと100人を超えておりました。

ありがとうございます。背筋が伸びる思いです。

今までも、これからも良ければお付き合いください。

 

最近ちょっと違う雰囲気でブログを書いておりましたが

日々の生活を綴る感じのことをします。

興味のない方は、ここでストップしてくださいね。

 

失われた10年間を取り戻すことは出来るのか?

 

最近なんでブログが書けなかったことを書きます。

”俺、仕事辞めるわ”っていうのがキッカケで、色んなことの意識が変わった。その日は本当に珍しく遅刻して行って結局、早退して帰宅してきた。天気も悪くわたしも体調が優れなくて彼も風邪を引いていて半年振りに病院に行ったら祝日絡みでインフルエンザだったら危ないからと診断されていた。彼にお薬の管理は任せていたのだけれど ”大丈夫まだあるから” という言葉を信じていて、その日にちょうど薬が切れて金・土・日と少なくとも一睡も出来ない日々が続いた。彼は泥のように眠りについていたので安心したと共に、なんでこんな簡単なことが出来ないのだろう?と何度も何度も落胆した。彼がお休みを頂いた日は彼の誕生日だった。今年は素朴なケーキを作ろう!と意気込んでいたものの体調不良で結局お互いにダウンして良くも悪くもない1日だった。

 

”最近なんでレシートマメに持って帰るんですか?”の問いに ”奥さんが最近、家計簿をつけ始めてね…って言ったら暗い顔をされた。財布の紐は握らせてないけど”

男のひとのほとんどは自分のお金のこと触れたくないと思ってる。でも、これじゃだめだな。って思って溜まりに溜まっていた請求書の整理などをして、月にだいたいこの位支出と収入があるっていうのを3ヶ月前まで遡ることが出来た。

 

何もかも狂ったあの日

彼もわたしも”あの日”のことは忘れていなかった。まだわたしとの関係がお付き合いしたときに彼にクレジットカード持たないの?と言われたことがある。当時のわたしは”ニコニコ現金払いじゃないと怖い”と言っていた。まだ20歳のころですね。だけれどわたしはその3ヶ月後くらいに二社のクレジットカードを作った。理由はすぐ わたしの家族の引っ越す家電一式と生活費とか顔ももう曖昧になってきてる18歳下の弟の保育園代を支払うためだった。当時のわたしは頑張れば月に25万は稼いでいたので大丈夫、大丈夫と思っていた。家電一式を購入した際に彼もちょうどいてカードを作った日をわたしたちは”何もかも狂った日”と言っている。まだ母親は生きていたし働いてなかったし見栄とプライドは一人前。困ったときは女の力を発揮していた。生きていたら、いま53歳とかかな?逃げられたことに安堵していたわたしは失敗したなぁと思った。場所は離れてもこれじゃあ変わらないね。家に来たことも何度かあって、小さいころ経験した借金取りとまったく同じ形相で訪問したときはギョッとした。すぐ借りたお金は底をつき沼のようにハマった。親孝行しなさいよ、どの口が言えたものだろう。いつもいつもわたしより辛いひとは世の中沢山いるからと、やり過ごしてきた先で病気にもなった。親は病を気にすることもなく毎日よくもまあ来れたものだ。一年もしないで新品だった洗濯機が壊れた新しいの買って欲しい。こういうひとだった。いまもまだその溜まっているものは負債として残ってるんですよ、物はなくても。胃がキリキリしてしまうしお給料日は毎日しんどいって言葉では言い表せなくって。彼はお金のことでわたしを苦しめることは一度もなかった。それは取り繕っていたことだった。パンドラの箱を開けてしまった。マイナスからのスタート。30代は自分の為や新しい家族のためにお金は使いたいですね。人並みに暮らしたい。多くは望まないから。たくさん笑って次の日が怖くないような穏やかな気持ちでいたい。後ろばかり見てても後ろは変わることはないから、きちんと舵をとらないとね。

久しぶりに書いたらブログの書き方を忘れてしまいました〜。ではまた〜。

 

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