少しずつ削れてく純粋すぎる時。

それは、うたかたの日々

普通にされることの辛さ

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結構、暗い記事なので読みたくないひとは読まないで下さい

 結構ショックなことがありました。別に隠してることはないのですが

彼にこのブログを見られたことです。

それに関してもっと疑心暗鬼な面を持たせてしまったことについて

とても反省してます(はてなブログの為に始めたTwitterを辞めたのも理由のひとつ)

最近、仲良くしてくれてる外人さんがいるのですがビックリするくらいフランクで顔色でうわぁ、図星だって思うことも わたしが神だと思ってリスペクトしてるひとも、そうなのですが気分が落ち込んでいる時や体調が優れない日に”アリサちゃん大丈夫?”って心配してくれてるって聞いても語弊があるかもしれませんし、その人に対して物凄く失礼かもしれませんが”他の人に同じこと言えばいいのに自分のことは自分でなんとか出来るよ”と思ってしまうところがあります。困ってるひとなんか沢山いるのに無価値な人間にそこまでしなくて良いのでは?というのが私個人としての感想です。わたしも誰かも理解できないまま疎遠になってしまったことって多分あるんだと思う、いまなら。

わたしを取り巻く環境が変わってきている。そういうのが本音です。

優しくされると、どうしていいのかわからないんです。

それ相応の期待以上のことが出来ないと思ってしまうんです、自分なんかが。

生まれたときから今まで常人じゃ考えられない暮らしをしてました(悪い意味で)

なのでその事柄には結構、理解は出来るのですが(回避方法とか)

わたしは家族と過ごしていた日数が普通のひとより少ないせいか

周囲が受けてきた”無償の愛について”わたしは知りません。褒められても他人事のように受けてしまうのは小さい頃に結果や成果を出しても誰もそれについて触れなかったことが大きいのかな、他人事のように聞こえてしまう、自分のことなのに。疑問符だけが残ってしまいます、絶対裏があるんじゃないかとか。

例えば食事。家族で囲って食べるサザエさんないし架空のなかにあったそれは

世間ではごくごく普通の家庭ではあることなんだって認識したのも遅かった。

小学生のころ、”ひとりでご飯食べるなら家においでよ”といってくれた

親友がいる。そのときに本当は家族ってこんなんなんだって思って

優しくされる度に物陰に隠れて泣いていた。何かあった時にかくまってくれたりもしてくれた。ある日を境に関わるなと言われてから関わらなかったけれど

転校してもいる場所が変わっても仲良くしてくれてた。

大学に入ってからネットを介して再会したときに普通に接してくれたことが嬉しかった。今でも覚えてる。

わたしはよく周りのひとに助けられて生きてると思うけれど、その根底にあるのは

恐らくこのことがあるから。これ以後もさまざまな形で色んな人に助けてもらったし

嫌なこともあったけど、今の自分があるのは多分そう。

 

どうしても思い出したくない時に過去のことは自分の気持ちと反して

思い出してしまうことがある。

お金を稼ぐために生まれてきた人間なので稼いでいない自分は無価値であると思ってしまうし色んな意味で汚れているなぁと思ってしまうんです。

何もわからないのに歩み寄ってきてくれるひとに、わたしはとても酷いことをしていると思う。とくに彼に関しては。

わたしの人生の75%くらいは知ってる。実をいうとそこまで話したくはなかったし

逆になんでこのひとは引かないんだろうと思ってた。

彼はわたしにお前は天涯孤独だから良いだろうが

と物凄い剣幕で怒鳴られたことがある。

それも結局ないものねだりに過ぎなくて愛情に飢えてるんだと思う。

いまは何かをぶつける術もない。

本当に言いたくないことは恐らく死んでも言わないと思うし、わたしのせいで色んなものが崩壊したのは事実だし。彼はその時の事は洗脳だから。で話を終わらせちゃうんですけど。自分は今までされてこなかったからきっと他の人は沢山喜んでくれるんだろうな!と思ってやったことも普通のひとからしてみれば、それはごくごく当たり前のことで。思いは、なかなか伝わらない。

 歳を重ねれば毎日、泣いて暮らす生活なんてなくなると思ってた。

そんなことはないな。

書いたって何も変わらないのにね、ではまた〜

 

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